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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)10677号 判決 1998年4月24日

原告

甲野花子

外三名

右原告四名訴訟代理人弁護士

平栗勲

塩野隆史

右訴訟復代理人弁護士

藤井美江

被告

右代表者法務大臣

下稲葉耕吉

右訴訟代理人弁護士

塚本宏明

右指定代理人

山崎敬二

外五名

主文

一  被告は、原告甲野花子に対し、金七六一〇万〇〇三六円及び内金七五六〇万〇〇三六円に対する平成四年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野一郎、同乙山春子並びに同甲野夏子に対し、それぞれ金二五七〇万〇〇一二円及び内金二五二〇万〇〇一二円に対する平成四年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告甲野花子に対し、一億五〇七八万四五五九円及び内金一億五〇二八万四五五九円に対する平成四年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野一郎、同乙山春子並びに同甲野夏子に対しそれぞれ五〇五九万四八五三円及び内金五〇〇九万四八五三円に対する平成四年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、Aの相続人である原告らが、被告に対し、被告の設置するB(以下「B病院」という。)に勤務していた医師のC(以下「C医師」という。)がメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(以下「MRSA」という。)感染症を発症していたAに対し、適切な措置を行わずに冠状動脈バイパス手術及び左心室瘤除去手術(以下「本件手術」という。)をなし、また、本件手術後も、同人に対し適切な投薬等を行わないで術後管理を誤り、同人をMRSA感染症・敗血症により死亡するに至らしめたと主張し、更に、本件手術前のC医師の説明につき説明義務違反があったと主張して、国家賠償法一条一項に基づき、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)につき一億五〇七八万四五五九円、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)、同乙山春子(以下「原告春子」という。)及び同甲野夏子(以下「原告夏子」という。)につきそれぞれ五〇五九万四八五三円の損害賠償を請求した医療過誤事件である。

二  争いのない事実

1  原告らは、いずれもAの相続人であり、原告花子はAの妻、原告一郎、同春子及び同夏子は子である。

2(一)  MRSAとは、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌の略称で、近年、ブドウ球菌に対して抗菌力の弱い第三世代セフェム系抗生物質を濫用したことによって生じた多剤耐性の黄色ブドウ球菌であり、多くの抗生物質に対して耐性を有することから、治療が困難で、特に易感染性患者は極めて重篤な感染症を引き起こし、時には死亡に至ることもある。

したがって、医療機関としては、MRSA感染及びMRSA感染症の発症の予防のための厳重な対策を講じるとともに、MRSA感染症の早期発見と早期の治療に努めることが必要不可欠である。

(二)  心臓・大血管手術、腹部大手術等の侵襲が大きく長時間を要する手術を受けた患者は、MRSAに対する「易感染性患者」に該当し、医療機関としては、MRSA対策を重点的に行う必要があるとされているところ、本件手術を受けたAは「易感染性患者」である。

(三)  MRSA感染症は、多剤耐性という以外は一般のブドウ球菌感染症と同様の臨床像を呈し、髄膜炎、肺炎、腹膜炎、腸炎、敗血症など多くの臓器に感染、発症し、死亡に至ることもあり、極めて危険な病態である。

3(一)  Aは、平成三年二月六日、胸の痛みのためにD病院脳神経外科で診察を受けたところ、狭心症の疑いと診断されたため、B病院で受診することとなった。

Aは、同年三月四日から同月六日まで、精密検査のためにB病院に入院し、心臓カテーテルによる血管造影検査、超音波検査等を受けた結果、冠状動脈疾患、陳旧性心筋梗塞、左心室瘤などの診断を受けた。

(二)  Aは、同年五月二八日、右疾患の治療及び手術のため、B病院に再度入院し、同年六月一二日、同病院第一外科(以下「第一外科」という。)のC医師の執刀により本件手術を受けた。

(三)  B病院は、本件手術に先立つ同年六月九日、Aの喀痰を採取し、細菌検査(以下「本件検査」という。)を行ったところ、MRSAが検出されたので、本件手術後の同月一三日午後一時、第一外科に右検査結果を通知した。

(四)  C医師らは、本件手術後、Aの術後管理を行い、Aに対し、同月一三日から同月一五日まで、セフェム系の抗生物質であるパンスポリン及び合成ペニシリン系のペントシリンを、同月一六日には、パンスポリン、セフェム系抗生物質であるケフドール及びアミノ酸糖体系ゲンタシンを投与した。

(五)  Aは、同月一八日午後零時三〇分、B病院において、腎不全により死亡した。

三  争点

1  C医師が、本件検査の結果を待たずに本件手術を行ったことにつき過失が認められるか。

(原告の主張)

(一) B病院では、昭和六三年以降、MRSAによる感染が問題となっており、心臓手術のような身体的負担の大きい医的侵襲を受けた患者は、MRSAによる感染症に罹患し易く、これに罹患した場合には、重篤な症状に陥り、死亡に至ることがあることは、十分認識されていた。

(二) Aの本件手術当時の病状は、冠状動脈の閉塞については、冠状動脈のうち左前下行枝は起始部で完全閉塞しているものの、左回旋枝は末梢の後側壁枝が閉塞しているに過ぎず、右冠状動脈も五〇パーセント程度閉塞しているに過ぎなかったうえ、三か月以上ニトロールRを継続的に服用していたことによって狭心症の症状は全く出ていなかった。更に、心臓の機能についても、左室駆出率は五六パーセントであり、正常人の駆出率と比較しても十分な機能を有していると評価できた。また、B病院は、平成三年三月一四日Aに対し手術の必要を伝えたものの、Aが、実際に手術のために入院したのはそれより二か月以上も後の同年五月二八日であり、しかも、この間、Aは、同病院から台湾出張を許可され、仕事をこなしていた。

右のような冠状動脈の閉塞状況、狭心症の安定状態及び心臓機能等からして、Aの病状は、食事、生活指導、服薬及びインターベンション等の内科的治療によって十分コントロールできるものであり、本件手術は一刻を争う緊急性のあるものではなかったということができる。

(三) Aは、本件手術前の同年六月九日に、咳、痰及び咽頭痛を訴えており、軽度の咽頭発赤が認められた。また、同日採取された喀痰の細菌培養検査の結果、同月一三日、MRSAが検出された。

右の事実からすれば、Aは、同月九日、MRSAによる上気道炎に感染していたということができる。

(四) 以上のとおり、本件手術は緊急性のない待機的手術であったところ、Aは、同年六月九日の時点で上気道炎を発症していたのであるから(少なくとも、上気道炎の発症が疑われたのであるから)、本件手術を担当する医師としては、喀痰検査の結果を待つとともに、MRSAが発見された場合には、除菌を完全に行ってから本件手術に踏み切るべき注意義務があったのに、C医師は、これを怠り、Aの右感染所見を認識することなく、また、喀痰検査の結果を確認することなく、漫然と本件手術を行ったものであるから、同人に過失がある。

(被告の主張)

(一) Aの本件手術当時の冠状動脈の状況は、左前下降枝については起始部で完全閉塞しており、左回旋枝についても後側壁部で閉塞していた。左回旋枝については、その一部枝から側副血行路が形成され、一応の血流は確保されていたものの、側副血行は血量が少なく、心筋は虚血の状態であった。また、右冠状動脈についても七五パーセントの閉塞が認められた。したがって、Aの心臓は右冠状動脈一本で養われていた状態であって、その冠状動脈病変は重大なものと評価できるものであった。また心機能は、左室ポンプ機能がかなり低下しており、通常人の約三分の二程度であった。更に、入院時の看護婦による病歴聴取及び入院病歴からして、Aは狭心症重症度三度に該当する労作性狭心症であったと診断された。

右のとおり、Aの心疾患は、左室機能低下を認める三枝病変であり、そのうち二枝が完全閉塞し、危険側副血行を認める重症冠状動脈疾患であり、しかも、Aの心臓は右冠状動脈一本で養われており、いつ何時、致命的な心筋梗塞が発症するかもしれない状態であったから、その発症を防止し、狭心痛の寛緩、心機能の改善を図るために、速やかに手術を実施する必要があった。

(二) MRSAは組織破壊性の強い黄色ブドウ球菌であり、もしこれによる上気道炎をAが発症していたとすれば発熱等の臨床症状及び発赤等の強い局所所見が認められるところ、本件手術前、Aには発熱はなく、一般状態は良好であり、また発赤等の炎症所見も認められていないから、AがMRSAによる上気道炎を発症していたとする医学的根拠は乏しい。

なお、Aは、平成三年六月九日、咳・痰及び軽い咽頭痛を訴えてはいるが、客観的所見としては、咽頭に腫れも発赤もなく、感染を認めるような異常は認められなかった。

(三) 本件手術がなされた当時、一般には、心臓手術を受ける患者のすべてについて、術前に細菌培養検査をする必要があるとは考えられておらず、一般状態が良好で、感染症の所見も認められない患者については細菌培養検査は実施されていなかった。前記のとおり、Aには、感染徴候が認められなかったから、術前に細菌培養検査を実施することは必要とされておらず、したがって、検査結果判明まで手術を待つ必要性もなかった。

また、術前に採取した喀疾の細菌培養検査の結果、Aの喀痰からMRSAが検出されているが、Aには術前に感染症の所見は認められていないから、MRSAの保菌状態にあったに過ぎず、MRSA感染症は発症していなかった。そして、当時、MRSAの保菌状態の患者については、手術の必要性があれば手術を行うとするのが一般に認められた考え方であったから、MRSAの保菌状態にあったAに対して本件手術を行ったことが医学上不適切であったとはいえない。

したがって、C医師に過失はない。

2  C医師が本件手術後に行ったAに対する術後管理に過失が認められるか。

(原告の主張)

(一) 本件手術後のAの発熱、悪寒の状況、白血球の数値及び腹痛の程度等からして、Aは、平成三年六月一四日の段階で、MRSA感染症による全身性炎症反応症候群(以下「SIRS」という。)の状態にあったと認められる。そして、本件検査の結果は、前記のとおり、同月一三日午後一時、第一外科に通知されているから、右感染症について、C医師においても充分認識し得る状況にあった。また右検査の結果、Aの喀痰から発見されたMRSAに対しては、ゲンタマイシン、ミノサイクリンのみが感受性を有しており、パンスポリン及びペントシリンはいずれも耐性であることが明らかとなっていた。

(二) ところで、前記のとおり、心臓手術後の患者はMRSAの易感染性者とされ、術後にMRSA感染症が発現・憎悪してくることは十分に予見されるところ、Aから、術前の喀痰検査で既にMRSAが検出されていたのであるから、C医師としては、術後のMRSA感染症の発現・憎悪を当然に予見し、当時、MRSAに最もよく効くとされていたバンコマイシンを相当量投与するか、持続的な血液浄化療法、ステロイドホルモン剤の使用など、あらゆる処置を講じるべきであった。

ところが、C医師は、MRSAに対して耐性である抗生物質のパンスポリン及びペントリシンのみを投与した結果、感受性のあるグラム陰性桿菌、クラブシェラ等の菌を死滅させ、菌交代現象により、さらにMRSAが増殖するという悪循環をもたらしたうえ、ようやく平成三年六月一六日に至り、ケフドール、ゲンタシンに変更するに留まっているのであり、右C医師のAに対する術後管理には過失がある。

(被告の主張)

(一) Aの術後経過は、平成三年六月一五日夕刻までは、通常見られる術後急性期の経過をたどっており、MRSAによる感染症を発症したと認めるべき臨床所見はなく、また、循環機能、血圧、尿量、肺機能等についても特別な異常は認められなかった。

(二) また、心臓手術等の外科手術を行った場合、三日程の間は三八度程度の発熱(術後吸収熱)があることは少なくなく、この期間を過ぎてなお解熱傾向が認められない場合に初めて感染症を疑った対応を取ることになるところ、Aは、前記のとおり、通常の術後経過をたどっていたが、同月一五日の夕刻になっても解熱傾向が見られなかったため、C医師は、術後急性期に見られる発熱が下がるのが遅れていることのほかに、MRSAを含めた感染症の発症の可能性も考えて、原因確認のために、同月一五日夜に血液の細菌培養検査、同月一六日夜には血液、咽頭、喀痰、心嚢ドレーン、縦隔ドレーンの細菌培養検査、また、同月一七日には、スワンガンツカテーテルの先端部の細菌培養検査をそれぞれ実施し、さらに血液等の細菌培養検査は通常四八時間程度を要することを考えて、検査結果の報告を待つことなく、同月一六日には、予防的措置として、それまで投与していたペントシリンを広域スペクトラムを持つ抗生物質であるケフドールに変更するとともに、術前の喀痰検査によって検出されたMRSAに感受性を示したゲンタシンの投与も開始した。

したがって、C医師は、MRSAに対する感染対策を含め、適正な術後管理を行ったということができる。

(三) なお、原告は、Aに対しバンコマイシンを投与すべきであったというが、バンコマイシンがB病院において新規在庫となったのは平成四年二月からであったし、また、投与されたゲンタシンはAの術前の喀痰検査によって検出されたMRSAに対して感受性を有するもので、Aについて解熱傾向が見られず感染症を疑った段階で予防的措置としてこれを投与したのは極めて慎重な方法であり、右薬剤の選定及び投与を不適切とする理由はない。また、Aのように感染症の発症が認められない保菌状態において、抗生物質の予防的投与は適切ではない。

3  C医師の過失とAの死亡との因果関係

(原告の主張)

(一) Aには、平成三年六月一六日から四〇度程度の高熱が持続し、更にアドレナリンの減量及び循環量不足が重なり低心拍量症候群が生じたため、同月一七日午前八時ころから、腎不全による乏尿症状となり(のちに無尿症状)、心不全により血圧が低下し、血中カリウム値が上昇し、抹消循環が悪くなり、四肢末梢冷症状、心室細動及び意識の低下が生じ、典型的なショック状態となって、同月一八日午後零時三〇分、腎不全により死亡した。

(二) 前記のとおり、同月一七日、心臓に近い血管内に留置されていたスワンガンツカテーテルの先端部の細菌培養検査の結果、本件検査によって検出されたMRSAと同じ感受性を示すMRSAが検出されているところ、心臓外科手術時に気管挿管が行われることによりMRSAが深部に感染することはよく知られていることからすれば、Aに術前に感染していたMRSAが術後感染症を引き起こしたものということができる。

そして、Aが同月一四日の段階で、MRSA感染症に罹患していたことは、前記三2(原告の主張)記載のとおりであり、その後、Aは、MRSA感染症を原因として高熱を出し、右高熱を原因とするショック状態が発生し、腎不全を引き起こして死亡したもので、Aの死因である腎不全は、MRSA感染症を原因とするものということができるから、Aの死亡とC医師の過失との間には因果関係がある。

(被告の主張)

(一) Aの直接の死因である急性腎不全の原因は、MRSA感染症によるものではなく、痙攣により循環動態が急激に悪化したことによるものであり、右急性腎不全によって無尿となり血清カリウムが上昇して心停止に至ったものである。すなわち、

(1) Aは、平成二年三月一八日に脳梗塞の発作があり、体幹性失調症、右半身知覚障害及び嚥下障害を訴えて、D病院を受診し、同月一九日から五月一四日まで入院し、頭部CT検査(コンピュータ断層撮影)及びMRI検査(磁気共鳴画像診断)によって脳幹部梗塞と診断された。

また、Aは、平成三年五月二八日、B病院に入院した際、右上肢及び下肢のしびれ感を訴え、同年六月三日に施行された頸部ドブラー検査では、両側の総頸動脈に動脈硬化性病変が、同月四日に施行されたCT検査では右脳幹部(右基底核および右視床)に多発性梗塞巣が、また両側頸動脈および椎骨動脈に石灰化像が、同月八日に施行されたMRI検査では、右基底核、視床部に梗塞巣及び前頭葉大脳髄質部に多発性脳梗塞巣がそれぞれ認められた。更に、同月一〇日、同病院の神経内科を受診した際、右半身の痛覚低下、右前腕の触覚低下、右上肢腱反射の減弱、右下肢バビンスキ反射及びチャドック反射陽性の異常所見が認められた。

(2) ところで、心臓手術においては、対外循環という侵襲は不可避で、これによる脳循環の異常が生じることがあり、陳旧性の脳梗塞がある場合、それに関係して局所的脳虚血が生じ、術後に痙攣発作を誘発することがあり得るところ、Aの痙攣発作がこの術中の局所的脳虚血によるものか、あるいは術前脳動脈硬化病変に起因して術後に新たに脳梗塞が発生し痙攣発作が起こったのかを断定することは困難であるが、いずれにしても、Aの前記のような脳動脈硬化病変が術後の痙攣の原因となったものと判断される。

(二) 原告は、Aの死亡はMRSA感染症を原因とするものであると主張するが、以下のとおり右主張には理由がない。すなわち、

(1) Aは、平成三年六月一五日夕刻まで、通常見られる術後急性期の経過をたどっており、MRSAによる感染症を発症したと認めるべき臨床所見は認められず、また、循環機能、血圧、尿量、肺機能等についても特別な異常は認められなかった。

(2) また、同月一六日採取した喀痰及び同月一七日に検査したスワンガンツカテーテルの先端部から、本件検査で検出されたのと同型のMRSAが検出されたものの、同月一五日に採取した血液、同月一六日に採取した血液、咽頭、心嚢ドレーン、縦隔ドレーンからはMRSAは検出されなかった。

(3) 以上のとおり、Aには、術後に感染症が発症したとの所見はなく、また、術後の細菌培養検査の結果、喀痰及びスワンガンツカテーテル先端部からMRSAが検出されたものの、血液中からはこれが検出されていないから、AがMRSA感染症を発症していたということはできない。

4  本件手術に先立つC医師の説明につき、説明義務違反が認められるか。

(原告の主張)

(一) 患者は、自己の身体に対する治療の実施の可否について決定をする権利(自己決定権)を有するから、医師は、個別の治療をなすにあたり、患者に対し、治療行為についての充分な説明をなし、その承諾を得る必要がある。そして、この場合、医師は、患者に対し、当該治療行為を受けるかどうかを判断決定する前提として、患者の現在の症状とその原因、当該治療行為を採用する理由、治療行為の内容、それによる危険性の程度、それを行った場合の改善の見込み、程度、当該治療行為をしない場合の予後等について、できるだけ具体的に説明すべき義務がある。

(二) ところで、Aの症状は、前記三1(原告の主張)記載のとおり、内科的治療によって十分コントロール可能なものであったにもかかわらず、C医師は、Aに対し、本件手術に先立ち、手術を行わなかった場合の予後について、「心臓手術は、いろいろ危険があるにもかかわらずしないといけない。Aの場合、放っておくと一〇〇パーセント危険です。」、「手術しなければ五年生存率は二〇パーセントでしょう。」などと手術をしない場合には極めて危険であり、五年以内に少なくとも五分の四が死亡するものと説明した。

C医師の右説明は、Aにおいて当該手術を受けるかどうかを決定する際に与えられるべき情報としては誤ったものであるか、少なくとも過大に誇張されたものであり、説明義務違反が存するといわざるを得ない。

そして、Aは、右の誤ったないしは極めて誇張された説明によって、本件手術を受けることを承諾し、同手術を受け、同手術が原因で死亡したものであるから、C医師の右説明義務違反とAの死亡との間には、因果関係がある。

(被告の主張)

Aには、前記三1(被告の主張)記載のとおり、重症冠状動脈疾患があり、右冠状動脈が閉塞すれば致命的となる可能性が大きかったもので、放っておけば何時致命的な状況が訪れるか分からない状況であった。したがって、C医師が、Aに対し、病態について、「放っておくと一〇〇パーセント危険です。」と説明したのは何ら誤りではない。

また、五年生存率については、当時、最も信頼性が高いとされていた米国冠状動脈外科研究報告において、三枝病変で左室機能に中等度障害がある場合に内科的治療をした場合の五年生存率が五五パーセント、高度障害がある場合の五年生存率が三〇パーセントと報告されていることを前提に、Aの冠状動脈疾患及び心機能低下の状態等を勘案し、五年生存率は一般的な三枝病変の場合より低くなると予測して二〇パーセント程度と説明したものであって、右説明は、本件手術当時に信頼されていた統計データを踏まえつつ、Aの病態、症状を具体的に判断した上での推定を述べたものであるから、根拠がないとか不適正なものということはできない。

したがって、C医師に説明義務違反はない。

5  損害額

(原告の主張)

(一) Aの損害

(1) 逸失利益

Aは、死亡当時六三歳で、自転車部品及び健康器具の製造販売を業とする株式会社○○の代表取締役であったところ、平成二年度の年間所得額は八四八五万九三四七円、就労可能年数は簡易生命表の平均余命の二分の一である八年であり、生活費控除は五割が相当であるから、その逸失利益は、次のとおり、二億七九五六万九一一八円となる。

8485万9347円×6.589(新ホフマン係数)×0.5=2億7956万9118円

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

(3) 葬儀費用 一〇〇万円

(4) 原告らは、Aの死亡により、法定相続分どおり相続した。

(二) 原告ら固有の損害

弁護士費用 各五〇万円

(被告の主張)

争う。

第三  争点に対する判断

一  本件手術の経緯等について

前記争いのない事実に、証拠<省略>を合わせれば、以下の事実が認められる。

1  MRSAについて

(一) MRSAとは、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌の略称であり、近年、ブドウ球菌に対して抗菌力の弱い第三世代セフェム系抗生物質を濫用したことによって生じた多剤耐性の黄色ブドウ球菌であり、多くの抗生物質に対して耐性を有することから治療が困難で、特に易感染症性患者は極めて重篤な感染症を引き起こし、時には死亡に至ることもあるから、医療機関としては、MRSA感染並びに同感染症の発症の予防のための厳重な対策を講じるとともに、MRSA感染症の早期発見と早期の治療に努めることが必要不可欠である。

心臓・大血管手術、腹部大手術等の侵襲が大きく長時間を要する手術を受けた患者は、MRSAに対する「易感染性患者」に該当し、MRSA対策を重点的に行う必要があるとされているところ、本件手術を受けたAは「易感染性患者」であった。

(二) MRSA感染症は、多剤耐性という以外は一般のブドウ球菌感染症と同様の臨床像を呈し、髄膜炎、肺炎、腹膜炎、腸炎、敗血症など多くの臓器に感染、発症し、死亡に至ることもあり、極めて危険な病態である。

(三) MRSA感染を防止するためには、手術室、集中治療室及び重症室等を厳重に滅菌し、易感染性患者とMRSA保菌者とはできる限り離れた位置に配置するとともに、医療従事者は易感染性患者と接触する前後に、手洗い・手指消毒を励行する必要がある。また、患者がMRSAを保菌していることが判明したときは、個室に隔離したうえ、感染部位により洗浄・消毒して除菌を行い、更に、当該病室の入室時には、病室外で手洗いのうえ手指を消毒し、帽子、マスク、ガウン、手袋を着用し、手指やガウンが必要以上に患者に触れないように注意することが必要である。

(四) また、MRSA感染症も抗生物質による治療が中心となるが、MRSA感染症により死亡することもあることから、これに対する的確な診断と迅速な治療が不可欠である。

MRSAに有効とされている抗生物質には、ニューキノロン系のノルフロキサシン、オフロキサシンや、ミノサイクリン、リファンピシン、アルベカシン、バンコマイシン等があるが、患者のMRSAの抗生物質感受性が特定されているときは、感受性を有する抗生物質を選択すべきである。

(五) B病院においては、本件手術当時、細菌培養検査によって、MRSAを同定するためには、三六ないし四八時間を、更に検査担当部署から検査を依頼した部署に検査結果報告書が送られてくるまでには二ないし三日をそれぞれ要した。

2  B病院におけるMRSA感染症対策について

(一) B病院では、昭和六二年後半から昭和六三年にかけて、術後感染症にMRSAを起炎菌とする肺炎、敗血症が多発したため、同年一月からMRSA感染症予防対策委員会を設置してその対策の検討を開始し、また、C医師の所属する第一外科においても、同年三月から独自にMRSA感染症に対する予防と治療に関する検討を始めた。

その結果、同年三月から、MRSA患者が発生した場合、右患者を、病室の入り口に紫外線ロッカーとアルコールガーゼを用意した個室に転室させ、医療従事者の入退室時には必ず部屋の前に置いてあるアルコールガーゼによる手先の消毒を行うこととし、平成元年四月から、重傷室でMRSA感染症が発生した場合、患者の個室への隔離とそれに伴う重傷室の使用制限等を内容とする重症室使用基準を定め、同年一二月から、臨床検査部との密接な連絡を取り、的確な抗生剤の二剤併用療法を、術後患者の咽頭、喀痰にMRSAを認めた場合に、バンコマイシンの吸入療法をそれぞれ開始した。

また、平成二年後半から、術前長期入院患者や他の病院からの紹介患者の中に、咽頭培養検査の結果MRSAが発見された患者が多数見られたため、平成三年二月から、術前の全入院患者に対しうがいを励行させ、本件手術後の同年七月からは、手術予定患者に対し、外来で咽頭・鼻腔粘膜の細菌培養検査を行い、MRSA保菌者に対しては、抗生剤の経口又は点鼻療法を開始した。

(二) B病院においては、右のとおり、MRSAの感染症に対する対策の必要性が十分認識されており、本件手術がなされた当時、軽度でも感染症の所見があれば、緊急の場合等を除いては、検査等によりMRSA感染の有無を確認し、MRSA感染が判明すれば、これを治療したうえでないと本件のような身体に対する侵襲が大きい手術を行わないという原則が確立していた。

3  Aの病状について

(一) Aは、平成二年三月一九日、脳梗塞を発症し、D病院に入院した。右脳梗塞はその後快方に向かい、同年五月一四日、Aは、同病院を退院したが、その際、担当医師から、心臓に疾患がある旨告げられ、B病院第一内科(循環器内科)を紹介された。

Aは、同月下旬、B病院第一内科を受診し、以後、外来で心臓の検査及び投薬を受けていたが、同年八月以降は、同病院泌尿器科でも、前立腺の治療を受けることとなった。その後、Aは、B病院の診療に不満を持つようになり、同年九月以降、再びD病院を受診し、心筋梗塞のリハビリ治療を受けていたが、同年一二月ころから心臓の不調を訴えるようになり、右リハビリ治療は中止となった。

(二) Aは、平成三年一月終わりころ、D病院において負荷心電図検査を受けたところ、同病院から精密検査が必要である旨告げられた。そこで、Aは、同年二月一八日、第一外科を受診し、同年三月四日から三日間入院し、心臓カテーテル検査、冠状動脈造影検査及び超音波検査を受けた。

右検査の結果、Aの冠状動脈のうち、左前下行枝が起始部で完全に閉塞し、左回旋枝が末梢の後側壁枝部分で閉塞し、また右冠状動脈にも五〇ないし七五パーセントの閉塞が見られた。また、左前下行枝の灌流領域に側副血行路が、更に、左室瘤及び心尖部に血栓が認められた。しかし、左回旋枝のうち閉塞していない方から、側副回旋枝に側副血行路が生じて血液が供給され、また、右冠状動脈から左前下行枝に対しても心室中隔等を経て側副血行路が生じて血液が供給されていた。

また、右検査の結果、Aの心拍出量は、3.48リットル/分で、通常人の七五パーセントであり、左心室の駆出率は、五六パーセントである(正常値は六七パーセントとされている。)と判定された。

(三) C医師は、右検査の結果を受け、第一外科での検討もふまえて、本件手術の適応がある事例と判断し、平成三年三月一四日、Aに対し、手術の必要性等について説明した。

Aは、C医師の右説明を聞き、本件手術を受けることに同意したが、その経営する株式会社○○の商用で台湾に出張する必要があったため、手術は同年五月中旬以降に行うことを希望した。そこで、C医師は、病状等を勘案したうえ、Aの台湾出張を許可し、本件手術を同年五月中旬以降に実施することとした。そして、Aは、同月四日から八日間商用で台湾旅行をなし、帰国後の同月二三日に入院の申し込みをし、同月二八日、入院した。

(四) B病院では、Aが、平成二年三月一九日から同年五月一四日まで、体幹性失調症、右半身知覚障害及び嚥下障害を訴えてD病院に入院し、その際、頭部CT検査及びMRI検査によって脳幹部梗塞と診断されていたため、平成三年六月三日、ドプラー検査を実施したところ、頸動脈の血流には問題はなかったものの、中程度の動脈硬化病変が、同月四日、脳のCT検査を実施したところ、右基底核及び右視床下部の梗塞と両側内頸動脈及び脊椎動脈の動脈硬化がそれぞれ認められた。また、同月一〇日、神経内科の診断により、右半身の痛覚軽度低下、右前腕部の触覚軽度低下、右上肢腱反射減弱、右下肢バビンスキ反射及びチャドック反射陽性の所見が認められた。

第一外科では、右検査の結果を受け、本件手術の際に脳血流を維持する必要性から、拍動流ポンプを用いることとした。

(五) Aは、平成三年五月二八日B病院に入院した際、看護婦に対し、「一〇〇メートル位歩くと息苦しくなって胸の鈍痛がありました。」、「労作時に階段を登ったり、早足で歩くと胸の痛みが起こった。」と説明していたが、同年二月一八日第一外科を受診した時から冠状動脈血管拡張剤であるニトロールRを一日三錠服用していたため、狭心症の症状が全く出ない状況で、安定していた。

4  Aの本件手術直前の症状について

Aは、平成三年六月八日から、咳と喉の痛みを覚え、同月九日、看護婦に対し、咽頭不快を訴えた。そこで、看護婦がAの喉を見たところ、その咽頭に軽度の発赤があるのを発見した。

看護婦から右報告を受けた研修医でAの担当医であったE(以下「E医師」という。)は、同日、Aを診察し、咳、痰及び咽頭痛軽度(上気道炎の臨床所見)の診断をし、看護婦に対し、イソジンガーグルによるうがいの励行及び咽頭痛が強くなればトローチを処方するよう指示した。更に、E医師は、同月一〇日右診察の結果に基づき、Aの喀痰の細菌培養検査(本件検査)を実施した。本件検査の結果、Aの喀痰からMRSAが検出されており、Aは、同月九日の時点では、MRSA感染症である上気道炎を発症していたものということができる。

しかし、右検査の実施については、C医師に伝えられることはなく、また、C医師自身も、本件手術前にカルテ等によりAの右症状及び喀痰の細菌検査中であることを確認することはなかった。そして、本件検査の結果は、本件手術後である同年六月一三日午後一時ころになって、第一外科に報告された。

なお、本件手術は、本件検査の結果を待たないで実施しなければならない程の緊急性を有するものではなかった。このことは、C医師も認めている。

5  本件手術の実施について

C医師は、本件検査の結果を待たずに、同年六月一二日、本件手術を実施した。本件手術は、同日午前九時ころ開始され、同日午後六時ころに終了したが、右手術中に特に問題が生じたことはなかった。また、前記のとおり、Aに脳梗塞の既往症があったことから、本件手術中に脳血流のエコー検査を行ったが、異常は見られなかった。

本件手術の後、Aは重症室に入ったが、出血が止まらなかったため、同月一三日午前零時過ぎに再開胸止血術を受け、同日午前四時、再び重症室に戻った。

6  本件手術後の症状及び術後管理について

(一) Aの体温は、平成三年六月一三日、帰室後上昇し、同日午前九時には38.7度の発熱があり、同月一四日早朝には37.3度程度であったが、同日午前五時には38.1度となり、その後三六度台で落ち着いていたが、同日昼過ぎから上昇傾向が見られ、同日午後一〇時には38.6度の発熱があった。同月一五日午前になってもほぼ37.7度から38.4度であり、同日午後には38.4度から38.9度まで上昇した。同月一六日に入ってからはほぼ38.5度以上であり、同日午後二時には39.5度の発熱があり、同日午後八時以降は突然体温が下がった時もあったが、ほぼ三九度以上であった。そして、同月一四日午後五時以降には、悪寒も見られるようになった。

白血球は、同月一三日は五四六〇/ミリ立方メートルであったが、同月一四日には一万二九〇〇/ミリ立方メートル、同月一五日には一万一四九〇/ミリ立方メートル、同月一七日は一万一九四〇/ミリ立方メートルに増加していた。

また、前記のとおり、MRSA感染によって腹膜炎等を発症することがあるところ、Aは、同月一四日午後強い腹痛を、同日夜には腹が詰まるので浣腸をして欲しい旨をそれぞれ訴えた。

なお、Aは、同月一五日午後一二時ころに、一時的な低酸素によると考えられる突然の心室細動、心停止をきたしたが、五分間ほど心マッサージをしたところ、回復した。

(二) Aは、同月一三日午後一時ころ、本件検査の結果、喀痰からMRSAが検出されたことが報告されたため、重症室から四〇六号室に隔離された。また、本件検査の結果、Aの喀痰から発見されたMRSAに対しては、ゲンタマイシン、ミノサイクリンのみが感受性を有しており、パンスポリン及びペントシリンはいずれも耐性か対菌力が著しく弱く、その効果がないことが判明していた。

しかし、C医師は、本件手術後も、MRSAの感染症を疑わなかったため、同年六月一三日から同月一五日にかけて、一般の感染予防のために、パンスポリン及び広域スペクトラムを有するペントリシンを合計六回投与した。そして、前記のとおり、同月一五日になっても体温が下がらず、症状も悪化したため、はじめてMRSA感染症を疑い、同月一六日、ペントリシンを同様に広域スペクトラムを有するケフドールに変更するとともに、本件検査によって検出されたMRSAに感受性のあるゲンタシンをパンスポリンとともに投与したにすぎなかった。

(三) C医師は、同月一五日夜及び同月一六日夜に血液培養検査を、同月一六日には咽頭及び喀痰の培養検査並びに心嚢ドレーン、胸腔内ドレーン及び縦隔ドレーンの細菌培養検査を、同月一七日にはスワンガンツカテーテルの先端部の細菌培養検査をそれぞれ行ったところ、喀痰及びスワンガンツカテーテルの先端部から、本件検査で検出されたMRSAと同種類のMRSAが検出された。

7  SIRS(全身性炎症反応症候群)について

(一) SIRSとは、敗血症の定義の曖昧さと、的確な治療を早期に行うために提唱された概念であり、侵襲に対する全身性炎症反応につき、左記の二項目以上が該当する場合SIRSと診断される。

(1) 体温が三八度以上又は三六度以下

(2) 心拍数が九〇/分以上

(3) 呼吸数が二〇/分以上

(4) 白血球数が一二〇〇〇/ミリ立方メートル以上又は四〇〇〇/ミリ立方メートル以下

また、感染に対する全身性炎症反応で、SIRSと同一の診断基準を満たすものをセプシスという。そして、セプシスに罹患した場合には、徐々に酸素消費量と供給量のバランスが崩れ、組織破壊が起こり、多臓器不全に至る。セプシスとなった場合の患者の治療方法としては、持続的な血液浄化療法、ステロイドホルモン及びバンコマイシンの使用等がある。

(二) 平成三年六月一四日のAの症状を見ると、前記のとおり、白血球数が一万二九〇〇/ミリ立方メートル、体温が38.6度であり、また、同月一六日採取された喀痰及び同月一七日細菌培養検査に出されたスワンガンツカテーテルの先端部からMRSAが検出されていることからして、Aは、同日、MRSA感染によりセプシスの状態にあったということができる。

8  Aの死亡直前の症状について

(一) Aは、平成三年六月一七日午前三時ころから、顔面、口角を中心とした痙攣を起こし、意識低下が始まった。また、同日午前七時ころから、痙攣を頻発し、意識が混濁し始め、呼名反応がなくなり、強い刺激や疼痛を与えられた場合にかろうじて反応する状態となり、血圧も不安定となって、下降し始め、心臓ポンプの失調も見られ、その結果、腎血流量が減少し、腎不全が起こり、それまで一時間一〇〇ミリリットル程度に保たれていた尿量が同日午前七時以降一時間二〇ミリリットル程度と急激に減少した。更に、同日正午のころから尿量は一時間一〇ミリリットル以下の乏尿の状態となり、同日午後六時には無尿となって、腎不全の状態となった。

(二) 右のような尿量の減少の結果、血中のカリウムが排出されなくなり、カリウム値は、同月一七日午前七時には3.4、同日正午には3.6であったが、同日午後三時には4.7、同日午後四時には5.3、同日午後五時には5.8、同日午後六時には5.6と徐々に上昇し、同日午後七時には6.8、続いて7.6、同日午後八時には最高8.1まで上昇した。

このような高カリウム血症が生じ、これを原因として、同日午後七時過ぎに心室細動が起こり、心停止となった。そして、Aは、同月一八日午後零時三〇分、腎不全を直接死因として死亡した。

(三) このように、Aの心室細動の直接の原因は腎不全によるものであるところ、Aの死亡後、同年六月一六日採取された喀痰及び同月一七日細菌培養検査に出されたスワンガンツカテーテルの先端部から、本件検査の結果検出されたMRSAと同種類のMRSAが検出されていることからして、Aは、本件手術前に感染したMRSAが術後感染症を引き起こしてセプシスの状態となり、これにより腎不全を直接の原因として死亡したものということができる。

C証言中右認定に反する部分はにわかに信用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、被告は、Aの死因となった腎不全の原因は、MRSAの感染症によるものではなく、Aの脳動脈硬化病変が原因となった痙攣により循環動態が急激に悪化したことによるものであると主張し、これに沿うC証言が存在するが、右はAの既往症をもとに推測を述べたものに過ぎず、これを裏付ける証拠もないから、そのまま採用することはできない。

二 C医師の過失及び被告の責任について

右一認定の事実によれば、Aのような心臓外科手術を受けた者は、MRSA感染症にかかりやすい「易感染症性患者」とされており、一旦MRSAに感染すると重篤な感染症を引き起こし、死という重大な結果が発生することが予見されることから、特に重点的なMRSA感染に対する対策が必要であるとされていること、B病院においては、昭和六二年ころからMRSA感染症の患者が多数発生したため、昭和六三年以降前記のようなMRSA対策を実施しており、軽度でも感染症の所見があれば、緊急の場合等を除いては、検査等によりMRSA感染の有無を確認し、MRSA感染が判明すれば、これを治療したうえでないと本件のような身体に対する侵襲が大きい手術を行わないという原則が確立していたこと、Aの冠状動脈の閉塞状況、ニトロールRの服用により狭心症の発生が押さえられ、心臓駆出率もそれほど低下しておらず、また、C医師もAに対し心臓手術を決定した後に台湾出張を許可していることからして、Aの本件手術は緊急性の高いものではなく、本件検査の結果を見たうえで実施することが可能なものであったこと(本件手術が、本件検査結果を待たないで実施しなければならない程の緊急性がなかったことは、C医師も自認するところである。)、Aには、本件手術の直前である平成三年六月九日、MRSA感染症によるものと疑われる上気道炎の臨床所見が見られたこと(後に、本件検査の結果、右上気道炎はMRSA感染症によるものと判明したこと)、Aは、咽頭部の痛み等を訴えており、術前に、Aの症状を確認していれば、右上気道炎の臨床所見は容易に得られたことからすると、C医師としては、本件手術を実施するに先立ち、Aの術前の症状及び本件検査の結果を確認し、MRSA感染が判明すれば、これを治療したうえで本件手術を実施し、且つ手術実施後は、術後のMRSA感染・憎悪を当然に予見し、当該MRSAに感受性を有する抗生剤の速やかな投与等をなすべき注意義務があるのに、これを怠り、術前にAが上気道炎に感染していることに気づかず、喀痰検査中であることも見落して、その検査の結果を待つことなく漫然と本件手術を実施し、また、同月一三日午後一時に、前記のとおり、本件検査の結果が通知された後も、Aの術前の症状を確認・検討しないまま術前からのMRSAの感染症を疑わず、本件検査により判明したMRSAに対し感受性を有する抗生剤を早期に投与せず、症状の極めて悪化した同月一六日になってはじめて右感受性を有するゲンタシンを投与したに過ぎず、その結果、Aは、本件手術前に感染したMRSAが術後感染症を引き起こしてセプシスの状態となり、これにより腎不全を直接の原因として死亡したものと認められるから、C医師には、本件手術の実施及び術後管理につき過失があったものというべきである。

以上のとおり、Aは、被告の設置するB病院に勤務していたC医師の過失(医療過誤)により死亡したものと認められるから、被告は、国家賠償法一条一項に基づき、原告らの損害を賠償する責任がある。

三  損害額について

1  Aの損害

(一) 逸失利益

証拠(甲二七の一、二、二八の一ないし三、二九の一、二、原告甲野花子本人尋問の結果、弁論の全趣旨)によれば、Aは、昭和三年三月三一日生まれで、死亡当時六三歳であり、自転車部品及び健康器具の製造販売を業とする株式会社○○の代表取締役であったところ、同会社から、平成元年は五八一六万四七五三円、平成二年は六一一七万五三七〇円の各給与収入を得ていたから、死亡しなければ就労可能期間中その平均の年額五九六七万〇〇六一円を下らない給与収入を得られたものと認められる。また、Aの心臓疾患の状況等に照らすと、その就労可能年数は控え目に算定して五年と認めるのが相当であり、生活費として五割を控除し、新ホフマン方式により中間利息を控除して、Aの逸失利益を計算すると、次のとおり、一億三〇二〇万〇〇七三円となる。

(計算式)

5967万0061円×4.364×0.5=1億3020万0073円

なお、原告らは、Aの年収として株式会社○○からの株式配当額等も含めて主張するが、前記給与収入を除いたものは、Aの労働の対価ではないから、逸失利益算定の基礎に含めるのは相当でない。

(二) 慰謝料

本件不法行為の内容、その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すると、Aの死亡による慰謝料は二〇〇〇万円が相当と認められる。

(三) 葬儀費用

本件不法行為と相当因果関係にある葬儀費用は、一〇〇万円と認めるのが相当である。

(四) 相続

前記のとおり、Aは平成三年六月一八日死亡し、原告花子はAの妻、原告一郎、同春子及び同夏子は子であるから、その法定相続分に従い、原告花子は七五六〇万〇〇三六円、その余の原告らは二五二〇万〇〇一二円宛相続したと認められる。

2  原告ら固有の損害(弁護士費用)

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件不法行為と相当因果関係にある弁護士費用は、各原告につき五〇万円を下らないものと認められる。

四  結論

よって、原告らの本件請求は、被告に対し、原告花子については七六一〇万〇〇三六円及び内金七五六〇万〇〇三六円に対する平成四年一二月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を、その余の原告らについてはそれぞれ二五七〇万〇〇一二円及び内金二五二〇万〇〇一二円に対する平成四年一二月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条一項本文を、仮執行宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大谷正治 裁判官山下寛 裁判官新田和憲は転補につき署名・押印できない。裁判長裁判官大谷正治)

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